昨日まで3回紹介してきた『新選組始末記』ですが、毎日ゲームルールの話題ばかりでは窮屈なので、今日は〈番外編1〉としてゲームに登場するキャラクターとエピソードを紹介をしてみます。
今回は、会津藩士山本覚馬と明治維新後の京都についてです。

幕末期動乱の京都で佐幕・勤王の争乱が続いたゲームの舞台にも関心興味があると思うのですが、その後の京都について語られることはあまりありませんよね。
それはもっともなことで、東京遷都によって1000年の都の幕を閉じた京都は衰退の一途をたどるわけです。そして、京都の命運をかけた産業を興し町を活性化させるプランが持ち上がります。それが「京都三大事業」というものなのですが、その事業の一角を担ったのが『新選組始末記』にも登場する会津藩士山本覚馬なのです。
京都府第二代知事槙村正直の顧問として登用された彼は、京都の教育にも尽力し新島襄とともに同志社大学を設立したり、その頭脳と手腕をいかんなく発揮します。
慶応4年1月3日に開戦した戊辰戦争の初戦、「鳥羽・伏見の戦い」で薩摩藩に捕らえられた彼は西軍(薩摩・長州を中心とするその後の新政府側)に刃向かった「敵」という位置ではなく、人物の優秀さを高く評価され厚遇されたと伝わります。
ここからは想像の域を脱しないのですが、鳥羽・伏見の戦いで会津藩が布陣したのは伏見方面で、対する西軍の主力は長州藩が中心でした。会津藩は禁門の変以来、長州藩の恨みを買っていた経緯があるので、藩内で重鎮だった彼が薩摩藩に捕らえられたのは幸運だったのかもしれませんね。仮に長州藩に捕らえられたら、彼の人生は変わっていたかもしれないのですから。
他に幕末・明治維新期の人物でその後の京都に深い関わりのある人物と言えば西郷吉之助(後の西郷隆盛)がいます。とは言っても、西郷本人が京都の復興に尽力したのではなく、彼の息子西郷菊次郎なんですがね。彼は京都市第2代市長として赴任し、6年にもわたって市政を取り仕切ったのですから。
日本史に限ったことではありませんが、ゲームをプレイするだけでなくいろんなエピソードをひもとけるのが歴史ゲームの面白さなのかもしれませんね。
さて次回は、ゲームの本編に戻って『新選組始末記』のメインにあたる戦闘について紹介したいと思います。
●『ウォーゲーム日本史 創刊号 新選組始末記』はこちらから
今回は、会津藩士山本覚馬と明治維新後の京都についてです。

幕末期動乱の京都で佐幕・勤王の争乱が続いたゲームの舞台にも関心興味があると思うのですが、その後の京都について語られることはあまりありませんよね。
それはもっともなことで、東京遷都によって1000年の都の幕を閉じた京都は衰退の一途をたどるわけです。そして、京都の命運をかけた産業を興し町を活性化させるプランが持ち上がります。それが「京都三大事業」というものなのですが、その事業の一角を担ったのが『新選組始末記』にも登場する会津藩士山本覚馬なのです。
京都府第二代知事槙村正直の顧問として登用された彼は、京都の教育にも尽力し新島襄とともに同志社大学を設立したり、その頭脳と手腕をいかんなく発揮します。
慶応4年1月3日に開戦した戊辰戦争の初戦、「鳥羽・伏見の戦い」で薩摩藩に捕らえられた彼は西軍(薩摩・長州を中心とするその後の新政府側)に刃向かった「敵」という位置ではなく、人物の優秀さを高く評価され厚遇されたと伝わります。
ここからは想像の域を脱しないのですが、鳥羽・伏見の戦いで会津藩が布陣したのは伏見方面で、対する西軍の主力は長州藩が中心でした。会津藩は禁門の変以来、長州藩の恨みを買っていた経緯があるので、藩内で重鎮だった彼が薩摩藩に捕らえられたのは幸運だったのかもしれませんね。仮に長州藩に捕らえられたら、彼の人生は変わっていたかもしれないのですから。
他に幕末・明治維新期の人物でその後の京都に深い関わりのある人物と言えば西郷吉之助(後の西郷隆盛)がいます。とは言っても、西郷本人が京都の復興に尽力したのではなく、彼の息子西郷菊次郎なんですがね。彼は京都市第2代市長として赴任し、6年にもわたって市政を取り仕切ったのですから。
日本史に限ったことではありませんが、ゲームをプレイするだけでなくいろんなエピソードをひもとけるのが歴史ゲームの面白さなのかもしれませんね。
さて次回は、ゲームの本編に戻って『新選組始末記』のメインにあたる戦闘について紹介したいと思います。
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