先日の連休中に毎度毎度の古戦場散策を行ってきましたので、本日はそのご報告をブログでさせてもらいます。
目的地はタイトルの通り「長篠・設楽原」方面。日本史の授業でも習う「長篠の戦い」で有名な古戦場へ電車で向かいました。
実はこちらの古戦場に行くのは2回目だったりします。とはいうものの、前回訪れた時は車で行ったこともあり回れるところをざっと見ただけでした。今回は歩きであることと1泊の旅行だったので、じっくり自分の足で見たいところを徹底的に観察してきました。
ということで、本日は設楽原方面のお話しを。

戦場の最寄りの駅と言いますれば、JR飯田線の三河東郷駅になります。この無人駅に降りますと、案内板が設置されております。日本でも有数の有名な古戦場とあって、地元の方々が町を上げて様々な整備を施されており、とても歩いて廻りやすい場所になっていました。多分彼の地は、車で資料館や復元された馬防柵、長篠城辺りを廻ればそれでお仕舞いというルートになりがちですが、折角なら歩いて散策することをおすすめします。
駅から降りて、まずは資料館を目指します。
案内では駅から約800メートルと記されていますが、辺りを見ながら歩くにはちょうど良い距離。地図を片手に織田・徳川連合軍が布陣した連吾川の東側を歩きます。

上記の写真は、徳川家康の本陣があった方向を遠景で撮影したもの。現在、東郷中学校が建っている位置より少し北東に移った斜面が家康の本陣であったとされる場所のようですね。

近づいて徳川陣地付近を撮影したのが上記の写真。
今回私がここに来た目的は、武田側の防御陣地がどのような位置にあったのかを調べることでした。なので、織田・徳川連合軍の布陣した位置にはほとんど立ち寄らなかった訳で、遠景からの撮影がほとんどとなります。

資料館に近づき1枚を撮影。この場所は設楽原の戦いで言う中央部分の戦場、柳田前激戦地と呼ばれるところ。馬防柵が復元されている場所で、画像の右上にそれが見えます。

↑は拡大した部分ですね。
資料館は小高い山(丘?)の上にあり、その近くに武田の重臣内藤昌豊の陣地があったとされる場所があります。上記の画像は資料館へ上がる途中に駐車場がありそこから撮影した写真なのですが、画像から判るように、実は織田・徳川と武田の陣地は両方とも小高い斜面にあり、間にある連吾側からわかるように谷間に決戦場があるというのが設楽原の現実だったりします。
「設楽原」という言葉から真っ平らな平原が一面に広がっていると思われがちですが、この古戦場の近辺は低い山々が沢山並び、その間に小さい川が流れ込んでいるような地形なのです。
平面の地図じゃなかなか読み取れない地形ですが、こういう点現地に行けば見えてくることも沢山あるのが古戦場巡りの面白さだったりするのです。
では、織田・徳川の陣地から武田の陣地がどのように見えていたのでしょうか?
ということで、次回は馬防柵の位置からの風景を紹介してみようと思います。よろしければ次回もお付き合いください。
目的地はタイトルの通り「長篠・設楽原」方面。日本史の授業でも習う「長篠の戦い」で有名な古戦場へ電車で向かいました。
実はこちらの古戦場に行くのは2回目だったりします。とはいうものの、前回訪れた時は車で行ったこともあり回れるところをざっと見ただけでした。今回は歩きであることと1泊の旅行だったので、じっくり自分の足で見たいところを徹底的に観察してきました。
ということで、本日は設楽原方面のお話しを。

戦場の最寄りの駅と言いますれば、JR飯田線の三河東郷駅になります。この無人駅に降りますと、案内板が設置されております。日本でも有数の有名な古戦場とあって、地元の方々が町を上げて様々な整備を施されており、とても歩いて廻りやすい場所になっていました。多分彼の地は、車で資料館や復元された馬防柵、長篠城辺りを廻ればそれでお仕舞いというルートになりがちですが、折角なら歩いて散策することをおすすめします。
駅から降りて、まずは資料館を目指します。
案内では駅から約800メートルと記されていますが、辺りを見ながら歩くにはちょうど良い距離。地図を片手に織田・徳川連合軍が布陣した連吾川の東側を歩きます。

上記の写真は、徳川家康の本陣があった方向を遠景で撮影したもの。現在、東郷中学校が建っている位置より少し北東に移った斜面が家康の本陣であったとされる場所のようですね。

近づいて徳川陣地付近を撮影したのが上記の写真。
今回私がここに来た目的は、武田側の防御陣地がどのような位置にあったのかを調べることでした。なので、織田・徳川連合軍の布陣した位置にはほとんど立ち寄らなかった訳で、遠景からの撮影がほとんどとなります。

資料館に近づき1枚を撮影。この場所は設楽原の戦いで言う中央部分の戦場、柳田前激戦地と呼ばれるところ。馬防柵が復元されている場所で、画像の右上にそれが見えます。

↑は拡大した部分ですね。
資料館は小高い山(丘?)の上にあり、その近くに武田の重臣内藤昌豊の陣地があったとされる場所があります。上記の画像は資料館へ上がる途中に駐車場がありそこから撮影した写真なのですが、画像から判るように、実は織田・徳川と武田の陣地は両方とも小高い斜面にあり、間にある連吾側からわかるように谷間に決戦場があるというのが設楽原の現実だったりします。
「設楽原」という言葉から真っ平らな平原が一面に広がっていると思われがちですが、この古戦場の近辺は低い山々が沢山並び、その間に小さい川が流れ込んでいるような地形なのです。
平面の地図じゃなかなか読み取れない地形ですが、こういう点現地に行けば見えてくることも沢山あるのが古戦場巡りの面白さだったりするのです。
では、織田・徳川の陣地から武田の陣地がどのように見えていたのでしょうか?
ということで、次回は馬防柵の位置からの風景を紹介してみようと思います。よろしければ次回もお付き合いください。
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