昨日に引き続き、長篠・設楽原の古戦場巡りをお届けします。
その2と題した今回は、先日のお約束通り織田・徳川の陣地から武田側の軍勢がどう見えたのかを現地で撮影してきた画像を元に紹介したいと思います。

「長篠の戦い」と言えば鉄砲と馬防柵を思いつく人が多いかも知れません。現地に行くと馬防柵が50メートル程度復元されている場所があります。それが設楽原歴史資料館の北西いちにある柳田前激戦地付近です。
上記の画像はその復元された馬防柵の最北端に当たる場所。当時の様子を伝えるために、「鉄砲構え」まで残しております。

で、この位置から真正面の武田勢陣地を眺めると、勝頼の観戦地も伺えます。それが↓の写真。

撮影場所自体が斜面になっているので、すでに平地ではない場所から撮っているのですが、正面の小高い丘(山?)まで距離はそんなに無いと思えませんでしょうか?

馬防柵の裏、段の上から撮影した武田方陣地の写真。若干向こう側に登り斜面になっているような気もします。見え方かな?
この位置に立って初めて、イメージしている戦場の様子と実際の距離感に驚きを覚えました。まぁ、戦国時代の戦場ですから、そんなにだだっ広い場所でどんぱちやっているはずはないのですが、想像以上近い距離での戦闘だったのかと思いました。

最後の1枚は、三河東郷駅に向かう際、連吾川から北向きに撮った画像です。これを見ていただいても判るように、左右に山が迫っており、その間を川が流れていることを理解していただけるのではないでしょうか。撮影場所は徳川方陣地の付近で竹廣激戦地と呼ばれる所。左側の山の麓が丁度柳田前激戦地になるので、両軍の距離お掴んでいただけるのではないでしょうか。
さて、次回は場所を東に移して、長篠城近辺の様子をお伝えしたいと思います。「アラモの砦」と比較され籠城戦の代名詞とも言える長篠城の戦いを紹介したいと思います。よろしければ次回もまたお付き合いください。
その2と題した今回は、先日のお約束通り織田・徳川の陣地から武田側の軍勢がどう見えたのかを現地で撮影してきた画像を元に紹介したいと思います。

「長篠の戦い」と言えば鉄砲と馬防柵を思いつく人が多いかも知れません。現地に行くと馬防柵が50メートル程度復元されている場所があります。それが設楽原歴史資料館の北西いちにある柳田前激戦地付近です。
上記の画像はその復元された馬防柵の最北端に当たる場所。当時の様子を伝えるために、「鉄砲構え」まで残しております。

で、この位置から真正面の武田勢陣地を眺めると、勝頼の観戦地も伺えます。それが↓の写真。

撮影場所自体が斜面になっているので、すでに平地ではない場所から撮っているのですが、正面の小高い丘(山?)まで距離はそんなに無いと思えませんでしょうか?

馬防柵の裏、段の上から撮影した武田方陣地の写真。若干向こう側に登り斜面になっているような気もします。見え方かな?
この位置に立って初めて、イメージしている戦場の様子と実際の距離感に驚きを覚えました。まぁ、戦国時代の戦場ですから、そんなにだだっ広い場所でどんぱちやっているはずはないのですが、想像以上近い距離での戦闘だったのかと思いました。

最後の1枚は、三河東郷駅に向かう際、連吾川から北向きに撮った画像です。これを見ていただいても判るように、左右に山が迫っており、その間を川が流れていることを理解していただけるのではないでしょうか。撮影場所は徳川方陣地の付近で竹廣激戦地と呼ばれる所。左側の山の麓が丁度柳田前激戦地になるので、両軍の距離お掴んでいただけるのではないでしょうか。
さて、次回は場所を東に移して、長篠城近辺の様子をお伝えしたいと思います。「アラモの砦」と比較され籠城戦の代名詞とも言える長篠城の戦いを紹介したいと思います。よろしければ次回もまたお付き合いください。
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