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a-game shop(国際通信社)の日記出張所です。店舗の商品紹介はもちろんのことアナログゲームのことや日々のつれづれごとを日記にして書いております。
a-game つれづれ日記
そして太宰府へ その2
2010-03-31-Wed  CATEGORY: つれづれ
先週書いていたエントリーの続きです。

岩屋城跡を後にして、一路山頂の大野城を目指すことに。

帰宅して知ったのですが、岩屋城という城は元々山城として完成していた大野城の跡を上手く利用して建設された城らしく、岩屋城は、ほぼイコール大野城と捉えて良い部分が多いようですね(解釈に間違いがあるかも知れないので、私の意見を鵜呑みにはしないで下さいねw)。

四王寺山山頂が大野城の史跡がいくつか残る場所で、更に進むと石垣など見ることができたのですが、今回はこの一帯にある土塁や太宰府口城門跡を見ることに止めました。

大野城0

↑山道を進むと徐々に開けた場所が目に入ります。所々に石垣のようなものが目に付き、お城の跡であることが理解できてきます。

ご存じの方もいると思いますが、この大野城は古代律令制の時代に整備された朝鮮式山城と呼ばれる城で、この形式の山城としては日本最古のものと言われています。白村江の戦いで朝鮮半島内の足ががりの地を失った日本は、大陸からの侵攻を恐れ防御の最前線としてこの城を築いた訳です。城と言えば櫓があって壁が巡らされていてというイメージが強いのですが、まぁ、山の中に築かれた砦とでも理解していただければ良いかと思います。

大野城1

綺麗に整備された山頂は、このように解りやすい掲示板も設置されています。大野城がどのような役割を担いいつ築かれたのかはこちらをざっと読まれるだけで解る訳ですね。

大野城3

岩屋城跡に負けず劣らず、見晴らしの良い気持ちの良い場所でした。入り口の駐車場から入ると、↑このように山頂目指して1本の道がするーりと続いているのです。

大野城5

↑道の途中に石碑を発見。結構解りにくいところにありました。

大野城は天然の地形を上手く利用して建設されていたようです。城をぐるりと囲ったようですが、石垣と盛り土による土塁で防御壁を建設したようです。↓これが土塁の一部になります。

大野城6

山の高い部分から見下ろすと、↓このような景色になります。画像左端に続く場所に太宰府口城門跡があります。

大野城7

↓結構な急勾配でして……隠岐の島の「摩天崖」を思い出してしまいました。そういや、あの時もこんな所みつけたっけなぁ。

大野城8

あ、こっちか。

大野城9

ほほぉ。こりゃすごいなぁ。

大野城10

↓城門の礎石も

大野城11

↓石垣も

大野城12

ちゃんと残っているのだから、恐れ入ります。


ところで、例えば古代史に関するテーマのゲームって、どの程度ニーズがあるんでしょうねぇ。もちろん、ジャンルにもよりますが、そういうテーマのゲームを遊んでみたいという人がどの程度いるのか気になります。

こういう場所来たのも何かの縁ですし、チャンスがあれば古代史もののゲームなんて創ってみたいなぁとは思っているのですが……。興味のある人がいれば是非コメントなどいただけると有り難いです。
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