コマンドマガジン85号で、「大坂の陣」について書かせていただいたのですが、その際に撮りに行った写真を整理していたら、雑誌に使っていない画像があったので、折角ですからこちらで紹介させていただきます。
「大坂夏の陣」で奮戦しながらも最終決戦となる天王寺の戦いで戦死する真田信繁(幸村)の戦死地が、彼の布陣した茶臼山北、安居神社に当たります。雑誌の方でもちょこっと触れたのですが、「大坂」と呼ばれるだけに彼の地は「坂」がとても多いのです。
地名ほど「坂」のイメージがあまりないように思えるのですが、先に紹介した安居神社の北側、東西に走る「天神坂」という坂があります。

西から東に向けて上り坂になっているこの坂ですが、結構な急勾配なのです。下の画像は東側から西に向かって映した映像です。

想像していただければ分かると思うのですが、この一部分だけにこの勾配があるのではなく、この地域全体に西から東向きにこの勾配が続いているわけです。この坂の影響が戦闘にどのように影響を与えたのか、シミュレーションゲームを遊ばれている方には興味があるのではないでしょうか?
この日の撮影は、安居神社から大阪城へ向かって歩いたこともあり、「大坂の陣」の徳川方の進行方向に従って動いたことになります。
大坂の陣の資料を読むと、大阪城の弱点は天然の堀でもある淀川の無い開けた南側の平野部にあると言われているのですが、なかなかどうして、南北に先のような坂が場所によってはさらに勾配がきつくあるわけでかなり手こずったことは容易に理解できます。

旧真田丸付近まで近づくと、以上のように東向きにゆるやかな下り坂になっている地域が。大坂の開けている地域は結構上り坂・下り坂を繰り返したでこぼこ地形だと言うことが理解できるのではないでしょうか?
私も現在大阪に住んでいながら、こうやって現地を回ってみることで発見したことが多く、とても勉強になる記事になったなぁと思った次第です。
と言うこともあるのですが、実は先日社内で同僚と話をしていた時のこと、「大坂の陣」ってゲームに出来ないかなぁと言う話が。当初は天王寺決戦を模索して話をしようと思っていたのですが、道明寺の方がテーマとして面白いし形になるんじゃないかな? なんて話も。折角こういう原稿を書かせていただける機会もあったのですから、ちょこっと形になればいいなぁと思いました。
「大坂夏の陣」で奮戦しながらも最終決戦となる天王寺の戦いで戦死する真田信繁(幸村)の戦死地が、彼の布陣した茶臼山北、安居神社に当たります。雑誌の方でもちょこっと触れたのですが、「大坂」と呼ばれるだけに彼の地は「坂」がとても多いのです。
地名ほど「坂」のイメージがあまりないように思えるのですが、先に紹介した安居神社の北側、東西に走る「天神坂」という坂があります。

西から東に向けて上り坂になっているこの坂ですが、結構な急勾配なのです。下の画像は東側から西に向かって映した映像です。

想像していただければ分かると思うのですが、この一部分だけにこの勾配があるのではなく、この地域全体に西から東向きにこの勾配が続いているわけです。この坂の影響が戦闘にどのように影響を与えたのか、シミュレーションゲームを遊ばれている方には興味があるのではないでしょうか?
この日の撮影は、安居神社から大阪城へ向かって歩いたこともあり、「大坂の陣」の徳川方の進行方向に従って動いたことになります。
大坂の陣の資料を読むと、大阪城の弱点は天然の堀でもある淀川の無い開けた南側の平野部にあると言われているのですが、なかなかどうして、南北に先のような坂が場所によってはさらに勾配がきつくあるわけでかなり手こずったことは容易に理解できます。

旧真田丸付近まで近づくと、以上のように東向きにゆるやかな下り坂になっている地域が。大坂の開けている地域は結構上り坂・下り坂を繰り返したでこぼこ地形だと言うことが理解できるのではないでしょうか?
私も現在大阪に住んでいながら、こうやって現地を回ってみることで発見したことが多く、とても勉強になる記事になったなぁと思った次第です。
と言うこともあるのですが、実は先日社内で同僚と話をしていた時のこと、「大坂の陣」ってゲームに出来ないかなぁと言う話が。当初は天王寺決戦を模索して話をしようと思っていたのですが、道明寺の方がテーマとして面白いし形になるんじゃないかな? なんて話も。折角こういう原稿を書かせていただける機会もあったのですから、ちょこっと形になればいいなぁと思いました。
| ホーム |