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a-game shop(国際通信社)の日記出張所です。店舗の商品紹介はもちろんのことアナログゲームのことや日々のつれづれごとを日記にして書いております。
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歴史散歩とゲーム
2009-06-21-Sun  CATEGORY: つれづれ
こちらのブログでも何回か書かせていただきましたが、大阪の町中に会社があることから「大阪の陣」に関する風景をちらほら観ることができます。もちろん、気付かずに毎日生活しているので意識しなくちゃそれが解らないのですが……。

で先日、会社の用事で大阪は玉造に行った時のお話し。

それどこ? とおっしゃる方も多いでしょうが、ええとですね。

大阪城の南側と申したらわかるでしょうか。

地図

JR環状線の玉造駅の北側から東西に走る通りがありまして、その名を「長堀通り」と申します。お察しの通り、長堀という名前から大阪城と関係あるのでは? と思われますよね。駅から西へ西へと向かうと、「空堀町」という地名が。

なるほど、やはりお城の堀と関係がある訳ですね。

大阪の町と言えば、昔から川が埋め立てられてそのまま道路になったところがちらほらと見受けられます。大阪城の北側、十三(じゅうそう)なんかにはその形跡を沢山観ることができるのですが、この長堀通りという場所ももしや堀の底ではないかと推測できます。

通りの北側を眺めますと、結構勾配を発見できるんですよね。

HI360060.jpg

上記の画像のような場所は至る所に見受けられまして、なので、階段の上が昔の地面なのではないかと思われます。

京都も西陣、土屋町というところに町中なのにこのような急勾配の場所があります。彼の地は秀吉の建てた聚楽第があった場所でして、これも堀の跡がそのまま残ったのではないかと推測されます。

残念ながら、上記画像長堀通り付近の写真は、実際に堀の底と当時の地面を証明することは出来ません。もう少しちゃんとした資料を紐解かねばならないのですが、「そうじゃないかな?」という疑問と推測を立てることで歴史に一歩近づくことが出来る訳ですね。

という疑問を持ちながら、それをゲーム作りに活かせればこれまたとても面白い訳でして。古戦場を廻る趣味を持っている私からすれば「大阪の陣」に関するゲームをプレイする時に、こういう現地での記憶がふっとよみがえるのです。

こういう楽しみ方もあるんじゃないかなぁと思うのですが、他の方はどのようなゲームの楽しみ方をされているんでしょうかね?
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